明 石 将 軍


(本の表紙)

緒  言

 明石将軍は我國まれなる英雄である。昔は外国の交渉少なきため外國関係の事實は極めて少なく、神功皇后、豊臣秀吉の三韓征伐、山田長政のシャム國蹂躙等を算するくらいである。

 しかし、これらは軍隊をもって攻略に従ったのであるが、明石将軍はそうではない。一介の大佐をもって、自他ともに強大をもって許した当時の露西亜(ロシア)を撹乱したのである。その智略と勇気はとても常人の企て及ぶところではない。かくの如き英雄が我が福岡市に誕生したのは、福岡の誇りであらねばならぬ。

 しかるに明石将軍の実行した事柄を知る人は少ない。これは決して世人の罪ではない。その事柄が外交上の秘密に属して居るので、世上に宣伝することを憚(はば)かったからである。しかるに今日は世界の状勢変化し、秘密も自然に解消した。

 そこで大正十年、明石将軍の旧友杉山茂丸氏が『明石大将傳』を著し、次いで昭和三年に台湾で故小森徳治氏の著述『明石元二郎』と題する伝記が発行された。昭和五年には将軍の行動を小説化した『煽動大煽動』と題する書籍を実業之日本社が発行した。

 伝記『明石元二郎』は、欧州における将軍の活動を将軍自筆の報告書を基礎として記せしものといわれている。しかし上下二冊合せて千二百頁余のもので容易に読み通すことができない。

 杉山氏の『明石大将傳』は明快の筆をもって流暢に書き下したるもので、特に欧州における将軍の活動ぶりを記述せしところは、目に見る如き感ありて、巻を措く能わざるものがある。ただ惜しむらくは郷里福岡あたりでは余り多く購読されていないようである。而して、この書は五百頁のものである。

 その他、台湾にて出版せられた田澤震五氏著『明石大将』という小冊子がある。これは六十余頁の読みやすきものだが、吾人の最も知りたいと思う欧州における将軍の活動を全て省略してあるのは惜しむべきところである。

 

 明石将軍は予らの同郷の先輩である。しかのみならず、予の少尉任官後世話になったことが少なくない。参謀本部に於いてもそうであり、また北清事変の際随伴して北支那に行きしときの如きは種々教示を受けて居る。予が英國や仏國に鳩旅行をしたときも少なからぬ世話になって居るのである。だから予は、将軍の事蹟を世人に知らしむる義務を負うているように感ずる。

 然しこれらは予の私情である。このほか将軍の片鱗でも伝えねばならねことがある。あるとき某氏、汽車の中で明石将軍に対し、将軍の欧州におけるる功勲をしきりに賞揚せしとき、将軍曰く「君はそう言うけれどれも、かの浩瀚(こうかん)なる日露戦史に<明石元二郎>なる文字がどこに記せられてあるか。全然予の名はないではないか」と。然り、将軍の活躍はことごとく秘中の秘であった。したがって後世に残される戦史には一語も持軍に及んでいないのである。

 

 然れば私伝になりと記して、ぜひ後世に遺さねばならぬ。特に現在のわが國は国際聯盟離脱後、外國との関係が日に増し複雑になって居る。この際、明石将軍が当時のロシア政府に対し不平党を煽動して事を挙げしめた事蹟は、世人の精神指導の上において効果が少なくないと思う。予がこの書を世に公にし、明石将軍を青年士女に紹介する所以(ゆえん)である。しかし余り大部のものにては通読してくれるものが少ない。よって勉めて簡略に記述して小冊子となし、ひろく世人の一読を切望するものである。

 本小冊子に予の直接見聞せしところはもちろん記載してあるけれども、主としては『明石元二郎』より摘載したのである。この点については、その著者故小森君に深甚の謝意を表する。

昭和九年四月

著者識

(西川虎次郎、1934.6.15)


(最後に撮影せられし明石将軍/本書巻頭写真) 

編集子から一言】
 これは「北の旅人」の著者の文章ではない。にもかかわらず明石元二郎などと、不意に明治期の軍人を持ち出したのは何事かと思われるだろうから、一言お断り申しておきたい。

 問題は外務省である。市井の小人が何をほざくかと言われるかもしれぬが、日本国民としては外国とのつきあい方にも矜持(きょうじ)が欲しいところ。近年の不祥事や屈辱の姿勢はまさに三流国の外交であり、亡国の外務ではないかと思いめぐらしながら本を読んでいたとき、日露戦争当時の欧州にあって背後から攪乱工作をした明石大佐の話が出てきた。

 それによると、大佐は当時の約100万円、今の100億円相当の機密資金をもって日露戦争を勝利に導く成果を挙げながら、余った20万円以上を国に返却し、なおかつわが家は雨漏りのするぼろ家のままであったという。その清廉無私の生き方に対して、機密費を私的に流用し、外交予算を不正に使い、政治資金として環流させるような外務官僚と政治屋どもの下劣な品性は今後どこをどうすれば直るのであろうか。

 最近のニュースでは、捕まった外務省の厄人が牢屋の中で2日間のハンガーストをやるという。これなどは無意味を通り越して、滑稽としか言いようがない。どうぞ1週間でも1か月でも、生涯でもいいから存分にストをやったらどうか。2日間でやめるのは、要するに命が惜しいのである。

 

 そこで思い出したのが、本頁「北の旅人」の著者の父親、編集子の祖父にあたる人の書いた『明石将軍』(大道學館出版部、昭和9年6月15日発行)である。赤茶けた小さな本を押入れの中から発掘してきたが、そんな旧い本を今さらウェブサイトに掲上するのはどうかと思いインターネットを調べてみた。すると明石将軍に関するサイトはかなり出てくるけれど、大方は司馬遼太郎の『坂の上の雲』からの受け売りで、上に述べた機密費の残金を国に返したという話ばかり。しかも断片的なものしかない。

 むろん書物によって伝記を読めば詳しい話は出てくるが、インターネット上では不十分なままである。それではというので『明石将軍』の電子復刻を思いたった。

 本書はA5版100頁の小さなもので、文語体ではないが、70年ほど前のものだからやや読みにくいところがある。漢字も多く、当然のことながら旧仮名で書いてある。編集子自身は旧仮名もでもほとんど意識せずに、普通に読めるけれども、ここでは本来の文体と雰囲気を壊さぬように注意しながら、新仮名遣いに直すと共に、ごく一部を読みやすく修正した。

 出版社の所在地は福岡市薬院堀端一番地。上の本文にある通り、同郷福岡の人に読んでもらいたいというのが著者の願いだが、編集子としては外交官と政治屋どもに読んで貰い、明石将軍の赤誠報国の一端でも感じ取って貰いたいと思う。

 

 なお、本書の巻末には本の広告もあって、同じ著者による3冊――『満洲國一覧(満蒙はどんな處か)』(定価金貳拾五銭、送料貳銭)、『新解女大学』(定価金貳拾銭、送料貳銭)、『興國吟詠集』(定価金拾銭、送料貳銭)の書名が見える。ただし、これらの本は編集子未見である。

 さらに驚いたのは『異常児論』『神經衰弱とひすてりい』という2冊の広告が見える。著者は九大教授醫学博士下田光造。この先生は本頁「北の旅人」の著者の恩師である。その恩師と自分の父親が同じ頁に並んでいるのを、著者は知っていただろうか。

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