
明石将軍(7)
日露戦争時代(其一) ![]()
明石将軍は明治36年11月に大佐に進級して、なお露国公使館付武官であった。翌37年2月上旬日露両国開戦したので露国公使館は撤去となり、将軍の露国公使館付武官と云う名称も自然消滅した。
そこで参謀本部付仰付けられ、御用有之欧洲差遣の辞令頂戴したのである。このとき将軍は左の一詩を賦して気焔をあげた。
城中夜半聴鶏鳴
蹴枕窓前対月明
思結鴨江営裡夢
分明一劔斬長鯨露都を引上げた帝国公使館は端典(スウェーデン)の首府ストックホルムに移され、栗野公使は帰朝し、秋月左都夫氏公使となった。将軍も共にストックホルムに移住し、塩田中佐を補佐に使って敵国の内情探査を続行した。
日露戦争の遠因および近因については今更述ぶる必要もないが、当時に於ける露国の内情につき将軍の調査したところは概要述べ置く必要がある。
露国は北清事変の際、北支および満州に派遣せし軍隊を三期に分ちて撤去する約束をなしながら、第一期を撤去せしのみで第二期すなわち明治36年4月には撤兵せざるのみか、却て軍事施設を増大する有様である。しかし露国の大官が全部戦争までして自己の勢力拡張はからんとするものではない。強硬なる主戦論者は当時宮廷派の勢力者ペゾプラゾフ一味で、これは思う存分満鮮の野を撹き回さねば気がすまぬのである。
前陸軍大臣ワンノフスキー、外務大臣ランスドルフ、大蔵大臣ウヰッテ等は勿論、陸軍大臣クロパトキン、極東総督アレキシーフもむしろ非戦論者に属するものである。但しアレキシーフはいったん派遣したる軍隊を撤してまでも平和を好愛するものでなく、なし得れば現状のままで、これ以上深入せぬ条件の下に平和を維持したいというのである。しかし37年に入ってからは露国閣員は一、二を除く外、主戦論に降服したようである。
露国の虚無、無政府、社会の3主義は、その義解において諸説あるも、その根本たる虚無主義は欧米の無政府主義と酷似して居る。当時の学生にして西欧の文化を追うものは、その共産的汎愛的哲学の理想を偏信して居た。而して虚無党は1879年に分れて二派となり、一を革命社会党、他を民権社会党といった。
「革命社会党」は最過激なるもので、その主張は(1)国政監督議院の常設、(2)吏員の公選。(3)村制の完全なる自治、(4)集合、演説、出版、選挙の自由、全国民に投票権の付与、(5)常備軍の廃止、地方民兵制の採用、(6)土地の国有等である。而 して、その実行手段としては暴力を第一義とし決死の士を以て決行団を組織し、脅嚇手段を先駆とするもので、目的達成の最大急務は皇室を廃するに在りとするものである。
チヤイコヴスキー、デカンスキー、ソースキース等はその首領で後章に述ぶるシリヤクスはフィンランド反抗過激党の首領、またクロポトキン公爵もこの党の一人である。
「民権社会党」は主義は前者と相似て居るけれども、専ら職工の保護を目的とし、また前者の如く威嚇手段を採らぬのが相違して居る。この党は後述する第一回の巴里会議、第二回のジュネーブ会議にも参加しなかったが、この党に属するレーニン一派は政府攻撃に対し革命運動の援助を声明し、ガボン僧正の変もその内実はこの派の側面運動の力与って大である。
「自由党」と称するも色彩の濃淡により差がある。その進歩派は共和制度を主張し、国民の投票権を獲得せんとするもので、非常手段を好まざるも、中には革命党の決行組に加担するものもある。党中には貴族、学者等上中流の人士が多い。
「ブンド党」はユダヤ労働者の秘密結社で、革命運動には何時にても従う。特に当時は民権社会党と全く提携して居た。
「アルメニヤ党」はアルメニヤの国民社会党である。その目的は完全なる自治を得、進んでその地方に独立の行政を行わんとするもので、マロミロフその首領である。
「ゲオルギー党」はゲオルギー地方の国民社会党で、目的は前者とほぼ相似て居るけれども地方民性関係から匕首爆弾を弄することもある。
「レットン党」も地方の国民社会党で、リボニヤ、リトアニヤ地方に在る過激党である。日露開戦前までは著しき運動を見ざりしも、開戦後次第に劇烈となり、革命党中最活発なるものの一となった。 「芬蘭(フィンランド)憲法党」は芬蘭が本然に具有する自治権を完全にせんとする純国民党である。然るに一敗すれば遂に国を誤る危険があるので自重して居る。芬蘭は露国の藩與中最も自由なるものであるけれども近時露国から芬蘭固有の憲法を蹂躙せらるるに至 ったので、上下怨恨甚しく露国自由党中の急激派と親善するに至った。
「芬蘭反抗過激派」は前者と同観念であるけれど、その手段過激にして露国の革命社会党と結び、革命の目的を達せんとするものである。
「波蘭国民党」は芬蘭憲法党と同じく露政府を仇怨視せるも、敢て活発なる行動をなさず自重せるものである。
「波蘭社会党」は専ら波蘭の職工より成立せるもので、頗る過激なるものである。目的は任意露国と離合し得ベき自治制を作るに在る。「波蘭進歩党」は前二者の一角を拾収して編成せるものである。
「小露西亜党」は小露西亜民族の再興をはかるを目的として居るけれども、その組織は未だ完全でない。
「白露西亜党」も社会党で、地方自治を得るを目的として居る。
「ガボン党」は露都の職工間に一種の勢力を有する僧ガボン党與で明治三十八年一月二十二日に起した暴動はこの党が核心である。目的は革命社会党と同じく、またその運動も彼と共にするのを常として居る。
以上各種不平党を調査し、かねて各袖領連を知悉し、然るのち将軍の案出した計画は、これらを利用して露国内の事情を探らしめ、なお都舎によりてはこれを綜合して露国内に革命運動を起させよう。然るときは露国は専念して極東に戦争することが出来ないというに在った。然しそれにはこれら不平党に接近することが何よりも急務である。
(西川虎次郎、1934.6.15)
![]()
(表紙へ戻る)