
<『花月記』番外篇>
言葉つれづれ
西川 阿舟
俳句は世界で最も短い文学だと言われる。この短い文学には口語よりも、文語でキリッと短く表現するのが適している。例えば
囀をこぼさじと抱く大樹かな 星野立子
という句を、口語体で表せば
囀をこぼすまいと抱く大樹であることだなあ
と、元の五七五が長い文章になってしまう。それにダラダラとして詩にならない。
また俳句につきものの「や」「かな」「けり」などの切字を使おうとすれば自ずと文語体にならざるを得ない。
約束の寒の土筆を煮て下さい 川端茅舎
のように口語で成功している名句は勿論あるし、口語俳句がよくないというつもりはないが、総じて俳句には文語が適しているといえるだろう。
そこで晩学の僕としては高校時代の古文の勉強以来何十年ぶりかで文語を勉強することになり、文語文法を読み直したりしている。
最初の頃の句帳を見てみるといくつかの間違いが目につくし、今は人の句の間違いにも気づくようになった。それらのことを少し書いてみたいと思う。
自動車のライトに映える桜かな
これは僕のごく初期の頃の句だが何か変だ。そう、「映える」は口語で「かな」は文語だから違和感があるのだ。「映える」の文語形は「映ゆ」、ヤ行下二段活用で変化は次のようになる。
基本型 未然 連用 終止 連体 已然 命令 映ゆ え え ゆ ゆる ゆれ えよ 連体形は「映ゆる」だから
自動車のライトに映ゆる桜かな
とすれば文語体となって違和感はなくなる。
しかしこの「映ゆ」のような動詞は終止形と連体形が異なっているので注意が必要だ。次はいろいろな句会や雑誌から引用した句である。
しなやかに風と戯る川柳
五月雨やショパンの曲の流る窓
待ち焦がる男の子授かり鯉のぼり
漁夫として老ゆ兄冬の虹仰ぐ
傍線部(編者注:「戯る」「流る」「焦がる」「老ゆ」に傍線)は次の言葉「川柳」「窓」「男の子」「兄」につながる連体形のはずだが、全て終止形になってしまっている。正しくは「戯るる」「流るる」「焦がるる」「老ゆる」でなければならない。
この間違いはかなりのベテラン俳人の句にも見かけるから、本当に要注意である。
萍に覆い尽くさる水面かな
これは僕の句帳から。傍線部(編者注:「尽くさる」に傍線)は動詞「尽くす」の未然形「尽くさ」プラス受身の助動詞「る」である。しかし受身の助動詞「る」は下二段活用型の変化をする。
基本型 未然 連用 終止 連体 已然 命令 る れ れ る るる るれ れよ 「水面」につながる連体形は「るる」だから、傍線部は「尽くさるる」でなければならない。こういう型の助動詞についても動詞の場合と同じ注意が必要だ。
口語の動詞は終止形と連体形が全て同じだから間違うことはない。しかし文語の場合は四段、下一段、上一段活用のみ終止形と連体形が同じだが、上二段、下二段、カ変、サ変、ナ変、ラ変では終止形と連体形が異なるのである。文語で作句する以上この問題を避けて通るわけにはいかない。間違わないようにしたいものだ。
口直しに先人たちの連体形を使った名句を。
手をあげし人にこぼるゝ四十雀 高浜虚子
五六疋牛ひきつるる無月かな 村上鬼城
爪打ちに応ふる鐘の秋の声 富安風生
病妻の閨に灯ともし暮るる秋 夏目漱石
爽やかに日のさしそむる山路かな 飯田蛇笏
(『玉藻・四季物語』誌、2003年10月25日号所載)
【編集子注(2004.12.25)】
(1)本稿は季刊俳句誌『玉藻・四季物語』に連載中のもので、原文は縦書き。(2)著者「阿舟」は本名西川章。西川修の三男。自己紹介によれば「1965年TBS入社、制作、編成、事業等を経て、現在緑山スタジオ勤務。趣味はゴルフ、ホールインワン1回」 。関連頁「踊る阿呆」。
(3)写真は、編集子が去る11月に撮った福岡県久留米市にある五穀神社の風景。編集子は国民学校1〜3年生の頃、このお宮の境内でセミを取ったりコマを回したりして遊んでいた。もはや60年前の茫々たる記憶。
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