<『花月記』番外篇>
言葉つれづれ(3)
西川 阿舟
何故歴史的仮名遣いか 大高翔という俳人がいる。NHKBS「俳句王国」の司会をしている美人だ。彼女は現代仮名遣い(新かな)で俳句を書いていたが、昨年のある時期から歴史的仮名遣い(旧かな)で俳句を書くようになった。
妻という翼ひらけば青嵐 大高翔 (2003年版俳句年鑑)
日傘さす光と影をしたがへて 〃 (2004年版俳句年鑑)
という具合である。
『俳句年鑑』(角川書店)に自選五句を出している約七百人の俳人は、いわば俳句界のトップ七百だが、このうち約八割が歴史的仮名遣い、二割が現代仮名遣いである。
歴史的仮名遣いでなければならないとしている結社もあれば、仮名遣いは個人の自由としているところもある。私たちの所属する玉藻は歴史的仮名遣いだ。玉藻に現代仮名遣いで投句しても、選をされて雑誌に載るときには、添削されて歴史的仮名遣いになっているはずだ。
前に、俳句の表現には文語体の方が適していると書いたことがあるが、確かに文語体は口語体に較べて短く豊かに表現できるし、「や」「かな」「けり」などの切字も文語である。現代口語体の俳句だけを作る分には現代仮名遣いでいいが、文語体は現代仮名遣いでは十分には書き表せない、というのが歴史的仮名遣いで俳句を書く人が多い最大の理由だろう。
そもそも現代仮名遣いとは昭和21年の内閣告示『現代かなづかい』(昭和61年に『現代仮名遣い』として一部改訂されているが)によるもので、「主として現代文のうち口語体のものに適用する」とある。つまり口語体以外の文語体などには適用できないのである。
例えば
茄子苗を植ゑてくれよと旅に出づ 細見綾子
この句の「植ゑ」は文語ワ行下二段活用の動詞「植う」の連用形であり、口語「植える」の連用形ではないので「植え」とするわけにはいかない。「出(い)づ」は文語ダ行下二段活用の動詞であり、現代口語ではないから現代仮名遣いは適用できない。しかし内閣告示『現代かなづかい』の「細則」には〈歴史的かなづかいの「ゑ」は「え」と書く〉〈「づ」は「ず」と書く〉とある。無理矢理これを適用すると「茄子苗を植えてくれよと旅に出ず」となる。これでは「出ず」は〈デズ〉と読まれてしまい意味が逆転してしまう。
春の野に出でて摘むてふ言葉あり 後藤比奈夫
この句の「出で」は前句と同じ文語「出づ」の連用形、「摘む」はマ行四段活用「摘む」の終止形、「あり」は文語ラ行変格活用「あり」の終止形であるが、これらはこのまま現代仮名遣いであるといっても一見おかしくはない。しかし「てふ」を無理矢理現代仮名遣いにすればこの句は「春の野に出でて摘むちょう言葉あり」となるが、そうなると全くわけが判らない。やはり現代仮名遣いは文語体には無理なのだ。歴史的仮名遣いで書くしかない。
しかも歴史的仮名遣いの方は文語体だけでなく、現代口語もちゃんと書き表すことができる。丸谷才一や阿川弘之という大作家は今も歴史的仮名遣いで現代小説をものしているではないか。
チチポポと鼓打たうよ花月夜 松本たかし
バザールへ行きませう、雪の降る前に 筑紫磐井
これらは歴史的仮名遣いによる口語体俳句の例である。最初の句の「う」は文語助動詞「む」から転訛した意志推量の口語助動詞で、四段動詞の未然形に接続する。次の句の「ませう」は敬語の助動詞「ます」の未然形「ませ」に勧誘の助動詞「う」が接続したもの。歴史的仮名遣いなら口語体俳句もOKなのだ。
大高翔さんも多分こんなことに気づいて歴史的仮名遣いで書くようにしたのだろう。
(『玉藻・四季物語』誌、2004年4月1日号所載)
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