<『花月記』番外篇>
言葉つれづれ(8)
西川 阿舟
◆ 連体形と終止形の混用 この連載の最初の回(03秋物語)に体言を修飾する二段動詞などの連体形、例えば「流るる」「老ゆる」の、「る」が脱落して、「流る」「老ゆ」と終止形になっている間違いが多いことを書いた。
夜寒道夢泣きの子をなだむ声 大野林火
この句も「る」が脱落して終止形になっている。こんなベテラン俳人でさえも間違うのである。「玉藻」にも毎号散見されるが、気をつけたいものだ。
このような二段動詞の終止形と連体形の混用は体言を修飾する場合だけに起こるのではない。助詞に接続する場合や、助動詞に繋がる場合にも現れる。
春の虹消ゆまでを子と並び立つ 大野林火
副助詞「まで」は体言または活用語の連体形を受ける。林火氏はここでも間違えた。「消ゆるまで」とならねばならない。
先日ある句会で次のような句が投句されていた。
兜虫ジャンバルジャンの如しかな
終助詞「かな」は活用語には連体形に接続する。この句も「如きかな」となっていればもっと採られたものをと惜しまれる。
次の句は正しい例である。
虹消えて馬鹿らしきまで冬の鼻 加藤楸邨
秋の雲みづひきぐさにとほきかな 久保田万太郎
大木の根に秋風の見ゆるかな 池内たけし
◆「べし」は終止形に接続する 逆に助動詞「らむ」「らし」「めり」「べし」「まじ」などは動詞の終止形を受ける(ラ変動詞、形容詞、形容動詞には連体形が接続する)。特に「べし」には連体形からつながる誤用が時々見受けられる。
炎昼や虚に耐ふるべき黒髪あり 野澤 節子
春の波音きくべし眼閉づるべし 鈴木真砂女
野澤節子の句も鈴木真砂女の句も間違いだ。「耐ふべき」「閉づべし」とならねばならない。
次は正しい例句である。
秋風の肩かへりみる耐ふべしや 小林康治
燃ゆべきは燃え果てにけり地に秋風 下村ひろし
しづり雪避くべうもなし師の忌なる 吉岡桂六
※「べう」は「べく」の音便。
塚とゐてこがらしに身は委すべし 大野林火
花あれば西行の日とおもふべし 角川源義
稲妻のゆたかなる夜も寝(ぬ)べきころ 中村汀女
※ 口語の「寝る」は文語では「寝(ぬ)」(ナ行下二段活用、終止形)。
◆ 助動詞「なり」は二つある 助動詞「なり」には、終止形に接続する伝聞・推定・詠嘆の「なり」と、連体形に接続する断定の「なり」がある。
次は伝聞・推定・詠嘆の「なり」の例であり、終止形に接続している。
柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺 正岡子規(詠嘆)
花栗に男もすなる洗ひ髪 飯田龍太(伝聞)
また、次は断定の「なり」で連体形に接続している。
裸子の逐へば家鴨の逃ぐるなり 高浜虚子(断定)
旅なればこの炎天も歩くなり 星野立子(断定)
紀貫之「土佐日記」の冒頭の
男もすなる日記といふものを女もしてみむとてするなり
の最初の「なり(なる)」は伝聞であり、後の「なり」は断定である。それは「なり」に接続している最初の「す」は終止形、後の「する」は連体形であることから分かる。「なり」の使い分けが分からなくなったときは、この文を思い出せばよいといわれている。
(『玉藻・四季物語』誌、2005年9月15日号所載)
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