
<『花月記』番外篇>
言葉つれづれ(10)
西川 阿舟
◆ 係 結 び 毎年一月、滋賀県大津市にある天智天皇をまつる近江神宮で歌留多(小倉百人一首)の選手権大会が行われ、男子の名人と女子のクイーンが決定する。見ていると、大相撲の一瞬の立合や、剣道の瞬息の剣さばきを思わせる激しい戦いが繰り広げられ、歌留多はスポーツであると痛感させられる。
それはさておき、今回は係結びについて考えたい。
人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける 紀貫之
恋すてふわが名はまだき立ちにけり人知れずこそ思ひそめしか 壬生忠見
青い文字のような係助詞「ぞ、なむ、や、か、こそ」が来たときには赤い文字で示したように連体形か已然形で結ぶのが係結びである。藤原定家が編んだといわれる小倉百人一首には、ざっと勘定しただけで、百首中二十八首に係結びが使われている。この時代係結びがいかにポピュラーな用法であったかがわかる。
係結びを簡単な表にしてみよう。
係助詞 結びの活用形 意 味 ぞ・なむ
連体形
強調
や・か
連体形
疑問・反語
こそ
已然形
強調
係結びは昔古文の授業で習ったけど、なんだかややこしかったという人が多いかもしれない。しかし思い出してほしい。昔覚えた歌には係結びか多かった。例えば
―都の花にうそぶけば月こそかかれ吉田山 『紅萌ゆる岡の花』
―いつしか年もすぎの戸をあけてぞ今朝は別れゆく 『螢の光』
―今こそ別れめいざさらば 『仰げば尊し』
―斯くこそありしか往時のもののふ 『箱根八里』
―旅順港外うらみぞふかき軍神広瀬とその名残れど 『広瀬中佐』
これらの係結びは強調表現であって、助動詞「ぞ」には連体形、「こそ」には已然形で結ぶ。
『紅萌ゆる岡の花』は「吉田山にかかれ」と月に命令しているのではない。「あゝ月が吉田山にかかっているではないか」と強調して表現しているのだ。『仰げば尊し』は「別れ目」が来たといっているのではなく、「別れむ」の已然形の「別れめ」である。『箱根八里』の波線部「しか」は過去の助動詞「き」の已然形であり、百人一首の壬生忠見も同じように「こそ」→「しか」と結んでいる。
『螢の光』と『広瀬中佐』には係助詞「ぞ」が使われ連体形で結んでいる。『螢の光』の「別れゆく」は終止形ではなく連体形である。『広瀬中佐』を「うらみぞふかし」と終止形で歌うのはまちがいだ。
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係結びが使われている俳句を見てみよう。
寒けれど二人寝る夜ぞ頼もしき 芭蕉
元日は田毎の日こそ恋しけれ 〃
甲斐がねに雲こそかゝれ梨の花 蕪村
木曽川の今こそ光れ渡り鳥 高浜 虚子
夏草の翼の影ぞ草をわたる 水原秋桜子
勇気こそ地の塩なれや梅真白 中村草田男
鈴に入る玉こそよけれ春のくれ 三橋 敏雄
鈴虫の鳴き明かしたる声ぞよき 片山由美子
俳句でも係助詞「ぞ」と「こそ」を使った例が多い。「や」「なむ」の例もわずかにある。
梅白し昨日や鶴を盗れし 芭蕉
更衣母なん藤原氏也けり 蕪村
この蕪村の句は伊勢物語第十段の「父は直人にて、母なん藤原なりける」を踏まえたものといわれているが、何故か係り結びに従っていない。
また係助詞「こそ」が省略されて結びの已然形だけが残っている句もある。
白峰の月くまなくて悲しけれ 阿波野青畝
ラガー等のそのかちうたのみじかけれ 横山白虹
今は『玉藻』誌上でも句会でも係結びの句をあまり見かけないが、もっとあってもいいのではないだろうか。
(『玉藻・四季物語』誌、2006年2月25日号所載)
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