
<『花月記』番外篇>
言葉つれづれ(13)
西川 阿舟
◆「濃ゆし」考 リフトへの道石楠花の紅濃ゆし
玄関に紫濃ゆきクレマチス
山吹の八重の濃ゆさのありにけり
これらの句は最近の『玉藻』の投句欄に出ていたものだが、「濃ゆし」という言葉を使った句を『玉藻』から探すのはさほど難しくはない。毎号のように誰かが「濃ゆし」をやっている。
しかし「濃ゆし」は何か変だ。こんな言葉があるのだろうか。試みに辞書を引いてみよう。実はどの国語辞典、どの古語辞典を引いても「濃ゆし」はないのである。あるのは「濃し」であり、口語では「濃い」である。
『日本国語大辞典』(小学館)には「濃いい」は愛媛県や山陽地方の方言、「濃ゆい」は山陰地方の方言とあり、『新明解国語辞典』(三省堂)を引くと「濃い」の〔口語語形は「濃いい・濃ゆい」〕とある。
どんな辞書にも載っていない「濃ゆし」が『玉藻』に多い理由の一つは虚子に由来するものと思われる。虚子は『五句集』のなかで五回「濃ゆし」を使っている。例えば
霧濃(こゆ)し姫向日葵のそよぎをり 虚子(『六百句』)
柿赤く旅情漸く濃ゆきかな 〃(『六百五十句』)
最初の句にはルビがふってある。この句の上五を〈キリコシ〉と読んだのでは字足らずになってしまうので、〈キリコユシ〉と読ませるべくルビをふったものと思われる。
松山で「濃いい」とか「濃ゆい」とか言いながら育った虚子にとって、その文語体が「濃し」ではなく「濃ゆし」になるのは自然の道筋だったかも知れない。
紫蘇濃ゆき一途に母を恋ふ日かな 石田波郷
松風や日々濃ゆくなる松の影 中村草田男
この二人も松山の出身だ。
山口誓子が虚子の「濃ゆし」をみて「方言か」と言ったという話もあるし、藤田湘子がNHK『俳句王国』で「濃ゆしは松山地方の方言ですよ」と言ったのをきいたこともある。しかし「濃いい・濃ゆい」が松山地方の方言であっても、「濃ゆし」などという文語体風の方言があるわけがない。誓子も湘子も言い方は正しくない。「濃ゆしは松山地方の方言から作った文語体風の造語だ」とでも言うしかない。
平成十三年の『俳句』十一月号に「角川俳句賞選考座談会」の記事があり、宇多喜代子、山田みづえ、三橋敏雄らが話している。
《以下引用》
宇多 ……「海へ」より「寒の水」を推します。
山田 私も「寒の水」。「海へ」は〈晩涼や白より濃ゆく父の髭〉があるから。
宇多 〈濃ゆく〉って言わないのよね。
山田 〈濃ゆく〉は日本語にないのよ。
三橋 高浜虚子の『六百五十句』の中に〈濃ゆく〉があるんです。それから広がっちゃったんでしょうね。《引用終り》
「濃ゆし」という言葉は方言でもなければ、文語でも口語でもない。そんな言葉はないのである。「濃し」を使うようにしよう。虚子には勿論「濃し」もある。
金屏にともし火の濃きところかな 虚子(『五百五十句』)
濃く淹れし緑茶を所望梅雨眠し 〃(『六百五十句』)
汝も我も運命の児よ銀河濃し 〃(『七百五十句』)
(『玉藻・四季物語』誌、2006年11月25日発行所載)
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