早春幻談(2)

読み違いと幻覚

 

 年の暮れの下駄の音も慌ただしい街を歩いていたら、電車通りを隔てた向こうの新聞社の玄関口に『羊料理講習会――羊せんべい云々』という立て看板が立っている。丁度未年の正月を迎えようという年の暮だったから、流石は新聞社だ、ひつじの年を当て込んで素早いことをやりおる。それにしても『羊せんべい』とは羊肉を干してでも作るのだろうか、と一人感心しながら電車道を渡って近ずいて見ると、何のことだ、それは芋料理、芋せんべいの読み違いだった。二十余年前のことであるが、所謂、代用食の先駆とでもいうところだったのだろう。

 その頃チョイチョイ読み違いをして困った。乱視のせいでもあったかも知れない。寺田寅彦の随筆の中に読み違いのことが書いてあって、電車の中から見た看板に『グンデルビ上海』とあったので何のことだろうと考えていたが、やっと『海上ビルデング』を逆に読んだ事に気がついたというのがあるが、私も通学の途上、電車の中から街の看板を見て、時々変梃な読み違いをした。

 その当時、ベビーゴルフというのが流行していた。今のパチンコほどではないが街のあちこちにベビーゴルフ場ができて、青く染めた鋸屑の芝生に、コンクリート作りの小さな丘や谷、橋などいろいろな障害物が縦横に作られた中を、小さなパットで小さな玉を叩いて所定のホールに入れて回るのである。

 その街のどちらかと言えば場末に近い大濠公園の傍にも、電車の窓から覗くと、高々となまこ板の塀を巡らして工事が始まっている。また新しいベビーゴルフ場ができようとしているのだ。毎日の行き帰り電車の中から見ていると、やがてなまこ塀はどぎつい緑色のペンキで塗られた。そしてその上に白ペンキでデカデカと新ゴルフ場の名が書かれた。

 曰く『犬猿ゴルフ場』!

 私は驚いた。犬猿とは何処から持ってきたものであろう、奇体な名である。雉が一羽足りないが桃太郎の故事に因んだ積もりであろうか。ともかく、スッキリしない名である。まあF市などという田舎の都市の場末の事であってみればイヌサルくらいが似合いのところかも知れんと笑止に思いながら、日毎、電車の窓から眺めて通っていた次第である。

 ある日、ベビーゴルフ仲間の友人の一人が、
「オイ、お前の家の方に行く大濠公園の横なあ、あすこにまた新しいベビーゴルフできとるなあ」と言う。
「ウン、だいぶ大きなものを作っとるらしいな」

「いつから始めるのだろう。一つ遠征と行こうじゃないか」
「それもいいな、しかし、また何であんな変な名をつけたのだろう。まるで喧嘩でもするような名じゃないか」
「何が喧嘩するんだ」
「イヌサルなんて随分妙じゃないか」
「何?イヌサル?……」
「ウン、あの塀に大きく犬猿ゴルフ場って書いてあるぜ」

 ゴルフ仲間の友人は一瞬唖然という表情をしたが物凄く笑い出したものである。
「ワッハッハ……何言ってやがんだ、大濠ゴルフ場じゃないか。此奴、イヌサルだなんて……。ハッハッハ……」
「………」
「犬猿とはまた妙なこと考えやがった。ワッハッハ……」

 なるほど、その日、帰りの電車の中から熟視した所、犬猿にはあらで、大濠ゴルフ場とハッキリ書いてあった。毎日朝夕の電車の窓から眺めながら、そう言われるまで犬猿と信じて疑わなかったのだから世話はない。それ以後、その男に多少尤もらしい事を言ってみてもトンと効果がなくなった。

「何を!このイヌサルめ!」と言った調子で相手にしてくれないのである。

 変な現象に気がついた。街の雑踏の中を歩いていると、ガヤガヤ言う声に混じってふと後ろの方から呼び掛ける人がある。西川さん、確かにそう聞こえるので振り向いて物色するのだが、別に私を呼んだらしい人の姿も見当たらない。ただ無縁の大衆のみ、やたらにひしめいているのである。

 これに似た事は雑踏の中ばかりではない。夜静かな部屋にいても時々それが起こる。特に遅くまで読書をしたり、何か調べたりして眠気の域を通り越して妙に頭の冴えた時に多いのだが、突然耳の後ろの方で声が聞こえる。糸のように高く細く遠い声である。その内容は決まっていないが「ダメヨ、ソンナコトハ」とか、「ゴメンナサイ」と言うような短いフレーズが多い。気味が悪いからそんな時は急いで寝ることにした。

 当時私はまだ学生だったが、既に精神科の医者になっていた先輩に此の奇現象に付いて解明を求めた所、「それはやはり幻聴だね。そろそろ早発性痴呆が始まったんじゃないか」などと言った。その当時は現在の精神分裂病を早発性痴呆と言っていたのである。

 その後二十余年間、どうやら社会の内に暮らしてきたところを見ると精神分裂病であったとも思われぬが、この一種の幻聴は今でも時々起こる。既に二十年来の馴染みだからそんなに気味の悪いものでもない。この頃では夜遅く迄本を読んで頭を疲れさせると、もう起こりそうなものだという一種の期待を持つ。今日はどんな風に聞こえるかと思うと楽しみでさえある。

 どうです、読者の皆さんはこういう体験はお持ちではありませんか。

(南斗星、『大塚薬報』1956年所載)

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